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『どうする家康』公私で支えた家康の側室・阿茶局の生涯、大坂冬の陣で活躍|徳川家康と家臣たちのゆかりの地(第11回)


大阪城 写真=フォトライブラリー
 大河ドラマ『どうする家康』も最終回が近づき、ついに「大坂の陣」が描かれた。



 そこで今回は、大坂の陣において、重要な役割を果たした家康の別妻・松本若菜演じる阿茶局を取り上げたい。


 阿茶局とはどのような出自をもち、どんな最期を迎えるのだろうか。



甲斐武田氏の家臣・飯田直政の娘
 阿茶局は名を須和(すわ)という(ここでは、阿茶局で統一)。



 弘治元年(1555)に生まれたとされ(斎木一馬・岩沢愿彦・戸原純一・校訂『徳川諸家系譜』第2など)、天文11年(1542)生まれの家康より13歳年下となる。


 父親は、甲斐武田氏の家臣であった飯田直政だ。戦国時代の飯田一族に名の知れた者はおらず、直政も特に事績は伝わっていないという(白嵜顕成・田中祥雄・小川雄著『阿茶局』)。



若くして夫と死別
 阿茶局は家康の別妻となる前に、一条右衛門大夫信龍に仕えていた神尾忠重と結婚している(『寛政重修諸家譜』)。


 神尾忠重が仕えたとされる一条右衛門大夫信龍(一条信龍)とは、阿部寛が演じた武田信玄の異母弟である。



 阿茶局と神尾忠重の婚姻の時期は不明だが、天正2年(1574)に長男の神尾守世が生まれているので、それ以前のことと思われる。


「幕府祚胤伝」(高柳金芳校注『史料徳川夫人伝』所収)によれば、神尾忠重は、天正5年(1577)7月に、死去してしまった。



 神尾忠重の没年は、「柳営婦女伝系」(高柳金芳校注『史料徳川夫人伝』所収)では永禄3年(1560)、『寛政重修諸家譜』では天正16年(1588)と記されており諸説あるが、天正5年として計算すると、阿茶局は、数えで23歳の若さで、夫を失ったことになる。